日本移植者協議会ニュース |
Gift of Life Project Open(2010/07/15)
2010年7月15日ギフト・オブ・ライフプロジェクトが始まりました。当日は、六本木ヒルズ1階のヒルズカフェにおいて午後1時からオープニングセレモニーが行われ、報道関係者約50名が参加し、テレビカメラも7台とすごい数でした。
初めに実行委員長の日本移植学会理事長寺岡慧先生が、このプロジェクトの意義を話されました。この臓器移植法の改正施行にあたり、今こそ一人ひとりが臓器移植、臓器提供に考え、家族や友人と話し合い、それぞれが意思を表示することの大切さを強調されました。なおギフト・オブ・ライフ15周年記念作品展は19日の午後6時まで開催されました。
Gift of Life プロジェクトのホームページでもイベント報告を掲載しています。
アンバサダーの杏さん。今回のテーマに合せ、親子像を描いてくださいました。永遠の愛情を感じさせる素晴らしい絵です。杏さんも一人ひとりが考え、そして大切な人と話すことが大事と話されました。
歌手の松原のぶえさんも移植者代表としてご参加くださり、提供者への感謝とその思いを語ってくださいました。
2010年7月17日シンポジウム
六本木アカデミーヒルズ49 オーディトリアムにおいて13:30分から2時間にわたり「聞かせてください 貴方の意思〜それぞれの”いのちの思い”から考える臓器移植〜と題してシンポジウムを開催しました。
ファシリテーターを膳場貴子さん(ニュースキャスター)がパネリストは音無美紀子さん、向井亜紀さん、添田英津子さん。
ファシリテーターを膳場貴子さん(ニュースキャスター)
パネリストの音無美紀子さん、向井亜紀さん、添田英津子さん
東邦大学医学部腎センター教授の相川先生
1階のヒルズカフェに作られた「いのちの樹」
パネラーの音無さん:「38歳の時、乳がんになり、手術した。その後鬱病になり、毎日死にたい、死にたいと思うようになった。」「左の乳房を切除し、その結果、左手が使えなくなり、日常的なことが何も出来なくなった。死ぬことばかり考えるようになった。夫からは、もうちょっと生きてくれと言われた。」
「子どもがいたから、生きることが出来た。そしていのちは自分だけのものでないと思えるようになった。生きることで道は開けてくる。支えてくれたのは家族だった。家族の方が苦しんだかも知れない。」
パネラーの向井さん:「子宮頸がんで子宮を摘出することになり、妊娠していたため赤ちゃんを失った。赤ちゃんが助かり、自分が死んだ方が良かったと思った。生存者罪悪感に陥り、鬱病になった。」
「人は、目標を持つことで生きられる。子育てをしたいという目標が出来た時から新しい生き方が始まった。」「人間は、死ぬことを知っている唯一の動物。何をするか未来を考えた時、身体が反応する。多くの人のおかげでいのちをもらえた。多くの人との出会いがあった。いのちは自分だけのものでない、沢山の人たちによって支えられ生きている。」
「脳が止まった時、人の役に立つうちに提供したい。しかし後は家族に托したい。家族の選択を尊重する。」
パネラーの添田さん:移植コーディネーターには、ドナーコーディネーターとレシピエントコーディネータの2種類があることと、その役割について話しをし、移植医療における四つ権利「提供したい権利、提供したくない権利、移植を受ける権利、移植を受けない権利」があり、これらの権利は、それぞれ尊重されなければならないと話された。
その後、東邦大学医学部腎センター教授の相川先生が移植医療のあらましについてお話しされた。
音無さんは、色々な思いがあって当然。私はまだ意思表示カードに記入していない。もし我が子が脳死になったと時、親として提供出来ると考えると分からない。娘は脳死になったら臓器を提供するとサインしている。子どもの意思があれば提供出来ると思う。
向井さんは、「子どもの入学式に出る」そう言う意思、希望が人間の生きる力になる。死については、後悔したくない。意思を残すことが大切。人間のいのちは宝物。死は、一人一人が違った感じ方を持っている。家族で話し合うことが大切。
今回のシンポジウムは、いのちの大切さを話し合う中で、死を考え、そしてそれぞれがその意思を尊重し合い話し合うことの大切さを新たに思いめぐらす素晴らしい会でした。
お問い合せ先:NPO日本移植者協議会
〒530-0054 大阪市北区南森町2-3-20 プロフォートビル507号
TEL:06-6360-1180・FAX:06-6360-1126
E-mail:nichii@guitar.ocn.ne.jp
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